活動レポート

気仙沼大島に震災支援に行きました

2011年10月19日

私は、10月16日から18日まで、3度目となる気仙沼市に支援に伺いました。

今回は、気仙沼大島にフェリーで渡り、党北海道委員会から送られたじゃがいもと、皆様から寄せられた冬物衣料や生活用品を仮設住宅にお届けしました。

P1002039

大島には、新王平26戸、大島中学校35戸、休暇村22戸の3か所、88戸の仮設住宅が設置されています。

初期に建てられた休暇村と大島中学校の仮設住宅では、集落ごとの比較的親戚や知り合いの人たち同士がまとまって入居されたこともあって、自治会も立ち上げられ、コミュニティーもできていました。最後にできた新王平では、ばらばらの地域から入居されたということで、コミュニティーが形成されておらず、自治会組織もありません。物資の分配も要望をまとめることも課題があると感じました。復旧時に、地域コミュニティーを核にする仮設住宅の整備がいかに大事か問うことを感じました。

現地で聞いた話ですが、気仙沼市には、毛布や食料など支援物資が届けられ保管されたまま、被災者のところまで届けられていないということでした。分配方法が決まっていないことが理由とのことです。

今後、寒い冬になりますが、暖房類、特に、こたつが喜ばれるということです。

休暇村の仮設住宅では、住民が独自に風除室を設置していました。

さて、気仙沼の大島は、東北地方最大の有人島で、標高235メートルの「亀山」から気仙沼湾と太平洋を望む風光明媚な観光地としても知られています。船着き場からは、展望台につながるリフトが設置されていましたが、大津波のときに火事にもあって、火災に合い、展望台のレストランが休業に追い込まれていました。設置後40年経つので部品がなく、一度壊れたら再開できないといわれてきたリフトだけに、再開は絶望的とのことでした。

P1002033(手前は、砂がえぐれて石がむき出しになっている)

また、日本三大鳴き砂浜として有名な十八鳴浜(くぐなりはま)の海岸も、大きく浸食されていました。

日本昔話で紹介された津波の恐ろしさを伝える「みちびき地蔵」のお堂が、今回の津波で流されてしまったということです。現地では、観光協会が中心になってきれいな絵本を作成し、再建を目指して取り組まれています。私も早速買いました。

昔から「津波で島が3つになる」との言い伝えがあったということですが、今回の津波では、まさに言い伝え通りになってしまったということです。

渡し船が流され、護岸が壊れたので、渡船がしばらく途絶えて孤立状態だったということですが、4月に広島県江田島市から無償貸与で船を借りて、運航を再開できたということです。
将来的には、本土から300メートルしか離れていないところに、2018年までに橋を架けることが決まったそうです。

作業が終わった後、港近くの被災地を視察しました。

気仙沼は、5月のはじめにも行きましたがそのときと比べて、町の中は、だいぶ片付け始められていました。しかし、大津波の爪あとが、ビルや住宅がそのままの状態で残されているところに見られて、復興への道のりは『まだまだ』ということを、実感させられました。特に、湾に近いところでは、地盤沈下により、いつも水浸しでした。

P1002043

漁港の脇にある震災4か月前にできた魚市場は、地盤沈下しながらも建物はしっかしりしているので、再開していました。イカ釣り船や、マグロ漁船が並び、マグロ漁で取れるヨシキリサメを「フカヒレ」にするために並べられていました。耐震化されなかった古い魚市場は、全壊したそうです。

鮮魚加工場が壊れて、市場の片隅でとれたての鮭をさばいていました。不便をしながらも前に向かおうとする力強さと活力を感じました。大型トラックが何台も並ぶ中、海産物の箱が山積みされ、全国に向け発送作業が続けられていました。

P1002044

陸前高田に向かう国道45号線の脇には、遠洋マグロ船の大きな船体も残されています。気仙沼の市長は『モニュメントとして残して置きたい』との意向だそうですが、住民や船の持ち主は、震災の残骸を残してほしくないと要望しているということでした。それぞれの思いが入り混じっている何とも複雑な思いでした。

3日目に岩手県の陸前高田にも行ってきました。気仙沼と比べて、一部のビルなどは津波のあったときのまま残されていましたが、消防署跡地には、ぐしゃぐしゃになった消防車が放置され、津波の威力の大きさをまざまざと感じました。

重機や大型トラックが忙しく動き回っていました。

震災後、日が経つにつれ、被災者の生活状況や心境などが徐々に変わってくるので、これからの、ボランティアのあり方も徐々に見直されていくのではないかと感じています。

被災者の中にも、コミュニティーを大切にしたいと考えている方、孤立ではないが、孤独に生きたいと願っている方、復興住宅を希望する方、民間の借り上げ住宅を希望される方など、今後要望が多種多様になっていく一方で、仮設住宅を離れた被災者には支援が届かないとか、国有地では、いくつもの部署の許可を取らないと改善ができないとか、被災者の要望の多様化に行政の対応が追い付かないということも実感しました。また、被災地では、「つなプロ」というNGO団体が活動して、実態調査を基にアセスメントを実施し、復興に向けた課題の整理を被災者住民と一緒に取り組んで、住民自治を立ち上げながら被災者自らの力でまちづくりを考えていけるように支援する団体もありました。

現地の活動を通じて、川崎市における震災対策に生かしたいと思いました。