活動レポート

原水爆禁止2014年世界大会に参加して (その1)

2014年8月6日

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8月4日から6日の日程で、原水爆禁止2014年世界大会に次男と一緒に参加しました。今年は戦後69年。過去の戦争を「過ち」とは考えない安倍政権によって、戦争を繰り返そうとする流れが作られようとしているときに、日本の岐路、すなわち、戦争の教訓を忘れて再び戦争への道を歩むのか、反動的な流れをバネにして、平和憲法の精神が花開く時代に導くのか、国民の選択が問われていると感じます。
これからの未来を担う息子たちに、まだ戦争体験者から直にお話を伺える今しかないと考え、次男と一緒に参加しました。
写真は、大会初日の開会式の様子です。

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2日目は、今から40年前からの続けられている「似島少年少女の集い」に参加しました。
似島は、広島港(宇品港)から3キロと近い距離にあって、日清戦争の頃から戦地から帰る兵士のための陸軍の検疫所があり、暁部隊という衛生兵の部隊がおかれていたということです。
弾薬庫なども置かれ、軍事基地として戦争遂行の役割をになっていた加害の島でもありました。それが、原爆投下直後から、当時5000人分の医薬品が保管されていたことから、臨時の野戦病院として使用され、1万人とも言われる重症被爆者が多数小舟にのせられて治療のために運ばれて来ました。しかし、3日で薬は底をつき、治療にあたっていた暁部隊の方々が昼夜も分かたぬ治療の甲斐もなく、多くの被爆者が亡くなりました。
原爆の悲惨な歴史を持つ被害の島でもあります。
似島に向かう船を待っているところです。

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島内を回って戦争の遺構を見学しました。
これは、旧馬匹検疫所にあった死んだ馬の焼却施設の跡です。戦後発掘した際に、炉の中からスコップ300杯分の遺骨が発見されたということです。
発見当初、広島市は、馬の骨といい、人骨に似ている骨が出ると、猿の骨と言い人骨と認めなかったそうです。地元の人たちが、そんなはずがないと再調査を要請して、虫歯の治療痕の有る歯形を発見し、ようやく人骨であると認めたということです。

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見学の途中で、広島の木、広島の花にされている夾竹桃の花を見つけました。
草木もはえないと言われた広島に、いち早く咲いた夾竹桃の花を見て、被爆直後の広島市民は本当に励まされたと伺いました。(つづく)