活動レポート

教育シンポジウム「子どもの命を大切にし、二度と事件を繰り返さないために」にパネリストとして参加しました。

2015年6月7日

保護者の一人として事件に向き合った内容について、報告する機会がありました。
会場あふれるような参加者で、活発に意見が交わされました。

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(6月7日付け神奈川新聞の記事に掲載されました。)

定時制の先生から「3日以上の長欠の生徒を対象にすると4人に一人が対象となってしまう。ぜひ、定時制高校に目を向けるような機会をつくって欲しい」という声が出されました。

また、「子どもの権利条例を制定した川崎市として、条例が生かされていないではないか」との指摘がありました。

さらに、障がい児の保護者から、「精神障がいを持っている子たちは、生きづらさの中で命を絶たずによくがんばっている。不登校対策ということだけで動かないで欲しい。」という意見も出されました。

「子ども同士の「チクリ」という言葉で、先生に助けを求められない現状がある。遊びという感じでいじめていた。そういう子どもたちにどう対応するのか?」という質問も出されました。

 


<当日私が発言したことを掲載します>

保護者の一人として、この事件に向き合いました。

私は今、中学校PTAの副会長をしていますが、それでも、担任の先生の顔と名前をようやくわかるようになったところです。

今、中学校生活の中で、中一ギャップや中二病という言葉があるということを、今回の事件で初めて知りました。

自分のことを思い出せばいいのですが、私たちのころは、校内暴力の嵐が吹き荒れる時代でしたので、入学した時から荒れているという感じで、今の時代とはまったく違います。

私たちの時代とはどう違うのか、今学校で何が起こっているのかをまずしっかりと知らなければならないと思いました。また、自分の学校の闇の部分というのは見たくないものですが、自分の学校の光と闇の部分をちゃんと受け止めたいと思いました。

また、保護者との横のつながりをもう一度見直したいと思いました。

個人情報保護の名のもとに、保護者間の連絡網もできなくなっていますし、ましてや、夫婦共働きの中で、なかなかPTA活動に参加することも難しくなっています。小学校の時には、クラスの3分の1がひとり親家庭で、懇談会に3~4人しか集まらない状況もありました。そういう中で、いろいろな情報を共有するということは、容易なことではありません。

そういう点から、今あるPTA活動を活用して、保護者同士の交流などを広げる活動を重視する必要があると思いました。

私は、中学校区の地域教育会議という地域団体に参加しています。

1980年に川崎市で発生した金属バット両親撲殺事件や野宿生活者殺人事件等が続発しました。これを受けて川崎でも1984(昭和59)年、「川崎の教育推進事業」の一つとして、「川崎の教育を考える市民会議」が開催され、それをきっかけにして発足したのが、地域教育会議です。

地域教育会議を発足当初から関わっているある方は、今回の事件を通して、これまでの活動がどうだったのか、本当に問われる思いがすると仰っていました。

私たちの地域教育会議の取り組みに、職業体験というのがありますが、特段、教育の専門家でなくても、自らの職業をきっかけにして、子どもたちと接する機会を持つことができます。

私は、地域教育会議の中で知り合った子どもたちと、よく町であったときに挨拶をするようになりました。名前を知り、気性を知り、人としての絆が出来る。そういう点と点を線に繋ぎ、線と線をつないでいくことで、網の目が作られると思います。そういう人と人のネットワークがもっと広がっていたら、もしかしたら、重大な結果にならずにすんだかと思うと、私にも何か出来たのではないかと、本当に残念です。

あと、気になっているのが、アニメや漫画などで、簡単に人を殺してしまうような感覚を身に着けてしまっているということです。残虐な殺戮を行うようなゲームは、規制されるようになりましたが、ゲーム脳と言われるすぐに切れる感覚というのを小さいころから身に着けているとすれば、条件反射のように自動回路として常に作動してしまうようで、恐ろしいです。また、社会全体が右傾化する中で、人の命の重みをもっと大切にすることを大人たちが示していくことも大事だと思います。その点について、社会的に考えることが必要だと思います。

それから、携帯電話の普及です。うちの子供は、携帯電話は高校に入学してからにしています。アップルの創業者のスティーブジョブズでさえ、コミュニケーション能力が身につかないので、自分の子供にはアイフォンは持たせないと言っていました。私は、その通りだと思います。一度ラインにはまると、一晩中夢中になっているということを聞きます。

人によって言葉の受け止め方、感じ方の違いによって、誤解が生まれ、誤解が仲たがいを生み、さらにエスカレートする危険性があります。これは、私たちも感じています。ですから、私はメールを返す時に、言葉を選んでいるうちに、一日かかってしまい、電話で話した方が早いということがよくあります。

学校の先生に今回のことを聞きました。一人ひとりに向き合えるためにも、教職員の加配を強く要望されました。「娘さんが教師になりたいという先生から、こんな苦労させるぐらいなら教師にさせたくない」と言われたとき、親として本当に、身につまされました。親の後を継ぎたいという子に対して、心から喜べないどころか、こんな仕事をするなと言わせてしまう状況があったことを知らずに、本当に申し訳ないと思いました。

今回の報告書を見ましたが、一番先生方が望んでいる加配の問題は一言も触れらていません。あれも重要、これも重要、というが、先生はスーパーマンではありません。生身の人間です。子どもたちの声にこたえるためには、現場の先生方の声に答えることがまず第一歩だと思いました。