活動レポート

広島に行ってきました。

2010年8月10日

私は、8月4から6日まで広島で開かれた原水爆禁止世界大会に参加しました。

IMG_0839今年は、「核兵器のない世界」が国際政治の 明確な目標となった歴史的なNPT(核拡散防止条約)再検討会議後に開かれる最初の原水爆禁止世界大会として、大変注目される大会になりました。

第5福竜丸のビキニ沖での核実験による被爆後開かれた原水爆禁止世界大会のこれまでの歴史の中で、初めて、理想だといわれてきた「核廃絶」ということが現実的な課題となる手ごたえを感じる大会でした。

「核兵器のない世界の平和と安全」を達成するために、「枠組みを確立する特別な取り組み」を核保有国とすべての国に求め、核兵器廃絶条約の交渉開始を求める国連の事務総長からの力強いメッセージをはじめ、国連のセルゲイ・国連軍縮委員会上級代表の参加をはじめ、各国政府代表の勇気の出る挨拶が寄せられる中で、被爆者の皆さんを始め、全国各地でたゆまぬ努力によって続けられてきた草の根の運動が、大きく世界を動かす瞬間に立ち会えた歓びで、胸に熱いものがこみ上げてきました。

「核兵器に頼る安全から、核兵器のない世界の平和と安全」

被爆者が生きているうちに必ず実現することを呼びかける国連事務総長の言葉に、改めて、被爆国日本の国民として、応えていきたいと思いました。

それに引きかえ、菅総理の挨拶が極めて情けないものでした。IMG_0784

「唯一の被爆国として、核兵器廃絶の先頭に立つ道義的責任がある」といったのです。耳を疑いました。道義的責任とは何か?それは、しぶしぶやるということを意味しています。

私は、犠牲者の方を始め、今なお苦しむ被爆者の人たちの願いに背を向ける、日本の首相にあるまじき発言に強い怒りがこみ上げました。

平和記念式典後の記者団の質問に、核抑止力は必要だと応えていることからも、許せない思いでいっぱいになりました。

 

さて、今年は戦後65年、安保改定50年、日韓併合100年の節目の年です。さらに、息子が中学に入学したことを機に、親子でIMG_0656参加しました。

初めて、似島(にのしま)での分科会に参加しました。毎年、「似島少年少女の集い」が開かれているということです。「似島」の地名は、安芸小富士と呼ばれる標高 200メートル余りの山が富 士山に似ていることからついた名前とのことです。

ここは、120年前から陸軍の検疫所があったところで、原爆投下の時も、ここだけには、医薬品が5000人分保管されていました。原爆投下直後から、「似島に行けば薬がある」と被爆者が大田川を下って、小船に乗ってのべ1万人以上がこられたということです。

当時、戦場での救護活動の任に当たっていた通称「暁部隊」53班の隊員5、6名が、応急救護に当たったということですが、次々と押し寄せる被爆者の姿に、これまで経験したどの戦場においても見たことがないような異様な光景に、さながら地獄のようだったそうです。

5000人分あった薬も3日で底を尽き、助けたいが助けられずに、次々と死んでいく人たちに、なくなられた人たちの無念さと同時に、救護に当たられた人たちがどれほど苦しかったことだろうと胸が痛くなりました。

遺体の処理には、近隣の江田島にいた海軍特攻隊員も参加して、来る日も来る日も遺体を担架に乗せむせるような死臭に耐えながら、炎天下の海岸を歩いたということです。

私たちもその道を歩き、うだるような暑さの中を歩きました。

また、遺体を火葬するために、病没した馬の焼却炉を使っていたというIMG_0768ことも知りました。

救護活動に当たった、暁部隊の隊員が、戦後たてた慰霊碑の前で、ご冥福を祈り、黙祷をささげました。

そのときに、ガイドをしてくれた小学校の先生が、生前元隊員の方が涙をこらえながら、島を訪れた人たちに「1万人以上の被爆者がこの島に渡ってきたが、生きてこの島を出られたのは、数百人しかいない。ここには、いまだに数千人のたくさんの被爆者が眠っています。飛び跳ねたりせず、どうか、静かに歩いてつかあさい」といつも訴えていたと話されたとき、今なおこの島では、戦争は終わっていないと感じました。

似島は今、戦時中の建物は老朽化などから次々と壊されて、後には、青少年自然の家や、海水を使ったプールが作られていました。

広島市は、被害者としての被爆の実態は、克明に伝えながら、加害者としての戦争遂行の実態については、意図的に風化させようとしているのではないかと感じ、この落差に驚きました。

被爆の実態を生々しく伝えると同時に、戦争遂行の島としての加害の歴史を同時に伝える貴重な戦争遺産として、どうか、後世に伝える資料として残してほしいと切に願いました。

息子も、ガイドをされている先生の話を聞き入りながら、戦争の悲惨な歴史に思いをはせているようでした。